メディア情報

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『港新聞 第153号』に掲載していただきました

2012.05.16

先月に引き続き、弊社のソース作りの様子を『港新聞 第153号』の≪みなとの技を訪ねて≫のコーナーで取り上げていただいております。
2回掲載の内の2回目です。
港新聞をご購読の方は是非チェックしてみて下さい。

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【新聞の記事より抜粋】

良い物を造れば客つく
先代の苦労 今に活かし 貫く“じっくり作業”


三晃ソースの手づくりならではの味の評判は次第に広がり、数年前からは新聞や雑誌、テレビでも紹介され、全国からインターネットでも注文が来るようになりました。


◆先代が製造法を習得◆
そうして今や全国区となった三晃ソースですが、その歴史は1948年、先代の父・喜作さんによる個人創業に遡ります。
喜作さんは戦場の満州から帰還後、和歌山の醤油工場に勤めていましたが戦後の食生活の変化を見越してソースづくりを志し、製造法を習得。
港区市場通り(現市岡)に工場を構え、醤油・酢などの食品卸も併せて事業化しました。
高度成長やバブル景気にも乗って事業は繁忙を極め、その間に工場を現在地へ移転。
67年には高校を卒業した息子の喜勝さんが事業を手伝い始めました。
そうして84年に喜作さんが亡くなり、40歳で後を継いだ喜勝さんは、景気の先行きも見極め、事業をソースづくり一本に絞りました。
以来、妻の和子さんと二人三脚でソース製造・卸を続けてきたのです。


◆ソースは分身◆
「親父は常にお客さんの身になって考え、『ええもんをつくったら客は付いてくる』が口癖でした。
それでも戦後は砂糖の代わりにチクロを使うなど、苦労も多かったようです」。
そんな昔の苦労の上に今があると顔を引き締める武田さん。
みなと幼稚園→磯路小→市岡中→市岡商と港区を離れたことがない自身にとって、同じようにここで生まれ育ったソースは分身のような存在。
長引く不況下でも製造の灯を絶やす訳にはいきません。


◆消費者の声を励みに◆
かつて大型店から超大口の注文があった時には、「他のお客さんの分がでけへんようになる」と断ったとか。
「これからもうちの持ち味である“じっくり作業”を貫いていきたい。その上でネット販売にも力を入れ、売上の半分以上に持っていけたらと抱負を語ります。
そして、うちは創業三十年ですが三晃さん一筋。コクのる甘口が合っています(弁天のお好み焼き店幸)
我が家は皆このソースが大好きです(ネット購入者からの便り)など消費者の声が「最高の励ましやね」と微笑む武田社長。
「息子が後継ぎの気持ちを固めてくれてまんねん」とさらに目を細めました。


三晃食産
製品はとんかつとウスターの二種。
弁天4-11-19
(電話)6571-0758

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